ユリアヌス(在位361~363)
辻邦生の小説で有名になったこの"背教者ユリアヌス"には、生涯悲運の影がつきまとっていました。
名門出の母を早く失い、コンスタンティヌス帝の弟である父も兄も帝位争いの中で殺された彼は、追放生活の苦難に耐え忍ばねばならなかったのです。
ホメロスに没頭し、ギリシアの神々に憧れ、太陽と星辰を仰いで胱惚となる神秘的傾向などは不遇の彼の心の慰めでもあったのでしょう。
大きな運命の転変から一躍皇帝となり、軍人として戦うようになっても、文芸・哲学そして神秘さを愛する気持は変わりませんでした。
特に当時イランから帝国に広まっていた軍神ミトラスの密儀には大いに傾倒しました。
そのために人はユリアヌスが凱旋すれば、密儀で屠るために国中の牛がいなくなってしまうと噂したほどでした。
父の死後、皇帝に推戴されるやフランク人を破ります。
更にイタリアに下って、ローマにあったマクセンティウスをうち破りました。
進軍の前、彼は中天高く十字架と"これにて勝て"の文字の幻を見たといいます。
その十字架(形は十字ではないともいわれる)を守護旗として彼は優勢なマクセンティウス軍をローマ近郊ミルウィウス橋の下に沈めたのです。
この幻が彼のキリスト教への改宗の動機となったのかどうか、そもそも彼は改宗したのか否か、何十年間も多くの学者が論じ続けています。
いずれにせよ彼は太陽神を最高の神と考えており、キリスト教の神も彼にとっては太陽神だったのかもしれません。
キリスト教側からは英雄として讃えられる彼も教養は低く、残酷な一面があり、自ら息子と妻を殺しています。
しかし晩年はそれを悔い、死の床で洗礼を受けたといいます。
コンスタンティヌス(在位306~333)
ローマ皇帝中"大帝"と称された最初の人物です。
統治期間も長く、ディオクレティアヌス後の内乱の中を勝ち残り、単独支配者になると共に国制改革を精力的に推進。
キリスト教を支配のイデオロギーとする専制国家を確立するなど、その業績は大帝の名にふさわしいでしょう。
父コンスタンティウスは副帝としてガリア、ブリタニアを統治した人物で、他帝に比して穏やかで質素な性格でした。
キリスト教追害も殆ど行なわず、コンスタンティヌスの宗教政策はこの父を受け継ぐものといえるでしょう。
少年時代は人質としてニコメディアのディオクレティアヌス、ガレリウスの宮廷で過ごしました。
重病に陥った父が招きましたが、ガレリウスは帰国を許しませんでした。
コンスタンティヌスは騎馬で脱出を図り、道々馬を乗り換えるごとに追手が利用できぬよう、乗り捨てた馬を殺しては逃亡を続け、ついに北イタリアで父と会うことができました。